まーちに彩りを

日記のような雑記帳ブログ。少しでも役に立てることを書いていきたい。

映画「世界から猫が消えたなら」

表題のタイトルの映画を、去年の年末にhuluにて観ました。

世界から猫が消えたなら

劇場公開日:2016年5月14日

 

映画プロデューサー・川村元気による同名ベストセラー小説を、佐藤健宮崎あおい共演で実写映画化したヒューマンドラマ。

 

映画.comの評価は、星3.4(295レビュー)でした。

eiga.com

 

年末の連休に見た一作ですが、huluでたまたま見かけて観たのがきっかけです。

なので、あらすじも知りませんし誰が出演するのかも知らないまっさらな状態で見たのです。

最近は、予告やらで何かしらのシーンを見てしまうので、少し勿体ない気もしています。予告は予告で興味が湧くので良いのですけれどね。

 

さて、本編についてですが。ネタバレしない程度に触れていきます。

感想をつらつらと

私が感じたのは、猫がすべての始まりだけれど、猫がすべてはない。

猫が物語の核心に触れてくるが、猫がメインではない。

そう感じました。

生まれた意味を問う時が、誰しもあると思います。自分は、本当に生きていていいのか。生きている意味はあるのか。死んだら誰かは悲しんでくれるのか

そんな問いに、猫と佐藤健演じる主人公が過去を振り返りながら考えていきます。

先ほど、猫がメインではないと述べましたが猫がいなければこの映画は成り立ちません。

言いたいのは、猫が好きだから見ないというのは的外れだということです。

題名が、世界から猫が消えたなら と書かれてありますので猫が好きな方はもしかすると避けていたかもしれないので、私はあえて猫がメインではないと述べています。

この物語の核心は、人生には必ず思い出があるということです。

 

私はこの映画を見て泣きました。号泣とまではいきませんが、切ない気持ちになりました。見る方によってそのタイミングは様々だと思います。

私が泣いたシーンは、濱田岳が演じる人物と佐藤健演じる主人公とのやり取りの一部でした。

私は、濱田岳が演じる人物にとても惹かれました。

彼の演技は素晴らしいなと、この一作で感じるほどです。

実は、この映画を通じて彼の名前を覚えました。前は顔は知っている程度。 

 

2018年最後にみた映画になりますが、自分に関わる友人や家族を大事にしたいと思わせてくれる一作だったと思います。

 

以下、ネタバレありの感想につきご注意ください。

 

先ほど私が泣いたシーンは、濱田岳演じる人物と佐藤健演じる主人公とのやり取りであると述べました。

主人公と親友という間柄な二人。出会ったきっかけは、大学時代の講義の合間。映画という誰もが一度はみたことある娯楽の一つ。その映画が彼らを他人から親友へと昇華させたのです。

親友「俺が毎日映画を薦める。映画は無限にある。だからこのやり取りも、永遠に続くんだ。

一言一句同じではありませんが、この言葉が私の胸に刺さりました。

二人の関係に、見ている私も笑顔になる。たった数分、数十分のやり取りに関わらず。

私は、ああ、友達っていいな。と心から思いました。

そんな二人の関係が永遠に続けばいいのに。

でも主人公は余命僅か。二人の映画を見るという行為は、永遠に続かないのです。

主人公「最期に見る映画を一本選んでほしい。」

親友「俺たちの関係は映画のように永遠に続くんだろ?」

その問いに主人公である男は肯定できない。何故なら余命が決まっているから。

親友の彼は、そんな姿を察したのだろう。だって親友なんだから。でも・・。

親友「いつも映画を薦めていたのに、最期に見るべき映画が見つからないんだ。」

 

セリフの一つ一つが、胸を締め付けられるほど切なく、私はただ見ているだけで、泣いていました。

映画は短編集的な感じで、場面がコロコロ変わりついていけない人もいるかもしれませんが。

この二人のやり取りを見れただけで満足でした。

若い年代、特に20代にはお勧めの一作だと思いました。

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